いま娘と、ある「作戦」を決行中です。
近所の堤防を緑にしてやろう、と思ってね。
庭の芝生を移植しています。
今は雑草だらけなんだけど、緑が広がれば…とね。
ところが、現実はそうカンタンでもなく。。
作戦決行
自宅の近所に、堤防があるんです。
今みたいな(春から夏にかけての)時期は、緑がいっぱいに広がっています。
…といっても、雑草の緑なんですけどね。
もう、わんさかですよ。
所々、花も咲いてるんだけど、ほぼ95%が雑草。
年に2回は、地区の自治会行事で、「芝刈り」があるくらいです。
近所の人が早朝からみんな出てきて芝を集めてます。
でも、年2回じゃ当然、草は取りきれなくて。
今みたいな季節のいい時期は、雑草わんさかになるんです。
一方で、普段は散歩とかにも使われる道なんですよね。
ワンちゃんとか、おじさん(僕も含めてね)が朝と夕方には、よくウォーキングしています。
ここがさらに綺麗になれば、さらに快適になる感じなんです。
そこで1ヶ月前から娘と、ある作戦を決行し出しました。
キッカケは、近所のお父さん
実は、堤防のある部分では、一部、芝生が広がっている所があるんです。
3メートル四方くらいかな。
ちょうど、道路から堤防へ上がる階段のところ。
そこには、芝生が綺麗に生えそろっているんです。
近所のお父さんが植えられたようで。
ご自宅の庭の芝を堤防に植え付けられて。
それが綺麗に、ニョキニョキ広がっているんです。
それを見ていてね、
「あっ、これイイやん。
堤防に芝生が広がったら、綺麗なるんちゃうん。
雑草も生えへんようになるかもしれへんし」
ちょうど1ヶ月くらい前かな。
わが家もマネして実行することになりました。
庭に生えてる芝生(2年くらい前から生やし出した)を、堤防に移植。
30㎝四方くらいに、庭の芝生を切り取って。
それを、堤防に植え付けました。
羨ましく見ながらね、、、
ほぼ毎日のように、チェックをしています。
「芝生、広がったかな?」って。
早朝、散歩するときと夕方、娘と庭に水をやるときに。
でもね、いまいち生えていない。
芝生さん、ぜんぜん横に広がってません。
「これ、横に土がないからかな?
それで根が広がらんのかな?
でも、緑やから枯れてはいーひんみたいやね」
とか言って、娘と観察しています。
一方、そこから20メートルも離れたところに生えている、(ご近所さんが植えた)芝生は、順調にもう3メートル近く広がっている。
「こっちのこんなに広がっているのに、俺たちのは、いつになんねやろぅ、、、」
羨ましく見ています。
「2年」と「1ヶ月」の違い
なんでもないような当たり前のことを徹底的に行うこと。
または、当たり前のことを極めて他人の追随を許さないこと。
(日本語表現辞典 Weblio辞書より)
「凡事徹底」という言葉がありますよね。
僕、この言葉が結構好きなんだけど。
「販促活動」や「情報発信」にもこれが当てはまると思っていて。
手書きPOPを書いた。
ニュースレターを発行した。
ポスティングをおこなった。
そして、運よく成果につながった。
ここまでは、(正しいやり方でおこなえば)比較的多くのお店で起きる現実です。
ただこの後、上記の成果をさらに広げられるお店の数は?
というと、その数は一気に減るんじゃないでしょうか。
精神論を強く力説するつもりはないんだけれど、、、
一定の成果。
そこそこの規模で成果を得ようと思ったら、そこには「継続」というフレーズが欠かせないんじゃないでしょうか。
初めはうまくいった。
成果を得た。
ここまでで得られる成果って、まだ小さいです。
さらなる実りを得ようと思ったら、ある一定期間継続させる。
そのためには、さまざまなハードルが待ち構えています。
例えば、
- 「このまま続けていいのだろうか?」という不安
- 「もっと他に効率的ないいやり方があるんちゃうん?」という飽き
- 「他所はうまくいってるやん」という焦り
いろんな感情が僕たちの障害として、立ちはだかります。
ちなみに、わが家の近所にある堤防。
近所のお父さんが芝生を移植されたのは、たぶん2年くらい前のことです。
っで、僕が娘と移植したのは、つい1ヶ月前。
そら、芝生の広がり方は違うで。
っていうか、違って当たり前。
「2年」と「1ヶ月」。
…一緒にしたら、アカンやろぅ。
今朝、そう、自分に言い聞かせたところです。