臼井です、
『究極の選択』という講義を先日おこなっていました。
あるビジネス専門学校さんで、です。今期最後の授業だったのと、卒業して社会に出る生徒達だったので、
「いつもとは全く違う、
人生にインパクトを残す講義にしたいな…」
企んだのです。
人生の転機
人生には、いくつかの転機が訪れます。
Aを選択するか?Bを選択するか?
基本、『間違った』選択はないと思っています。選択後の行動が、1番大事。ただ、あなたの決断次第で、人生は思ってもみない方向へ向かう。
「あの時あっちにしておけば…」
後悔につながること多々あるのではないでしょうか。なぜなら人生は、選択の連続だから。
例えば、昨年のちょうど今頃、うちの父親が心臓の手術をしました。8時間近くかかった大手術でした。
ICU(集中治療室)での究極の選択
幸い手術は成功。現在は元気にしています。
父が手術後、入院していた病院で、ある『究極の選択』を体験しました。手術後しばらく、ICU(集中治療室)にいました。
「何が起こるか?」
わからないので、早いタイミングで妻と娘も面会にしに来てくれたんです。高知から飛行機に乗って、大阪の病院へ。
その時、ハプリングが起こりました。
「小学生は集中治療室へ入れません」
看護師さんに言われたのです。感染予防であったり、子供への心的影響を懸念してだと思います。
おじいちゃんに会えない…
高知から、お祖父ちゃんと会うために小学校も休み、出てきたにもかかわらず、宣告されてしまいました。
ルールは仕方ない。娘も私たち家族も受け入れ、妻と私が順に交代しながら
一人ずつ、家族待合室に残る娘を見ながら面会しました。
そして、集中治療室を去ろうとした時、それは起こりました。
「明日、高知へ帰られるんですか?」
ある男性看護師さんが聞いて来たんです。
「はい、明日帰ります。その前にもう一度(病院へ)寄らせていただきます」
そう言うと…看護師さんから、こんな言葉が伝えられました。
看護師さんから伝えられた『ある』言葉
「明日いらした際私を呼んでください。本当はダメなのですが、特例でお孫さんの面会を認めます。せっかく高知からいらっしゃっていますし…」
病院のルールでは、小学生以下は集中治療室へ入室できない。
しかし、特例なのか?
看護師さんの独断なのか?
上司に許可を得たのか?
わかりません。私たち家族の気持ちを汲みとって、例外を認めてくださいました。
この話を専門学校の講義で、生徒たちに話しました。そして、
「自分ならどんな選択をするか?」
考えてもらいました。
人生の選択
人生には様々な選択がつきものです。その度、悩みますよね。
「こっちでいいのか?」
「あっちがいいのか?」
損得勘定しながら考えます。※私も昨日ある決断をしました。それが正しかったのか、今でも考えます。
ですが、根本を言えば、選択に正解も不正解もない。その後の行動が未来をつくる、そう思います。
とはいえ、頭ではわかっていても、その場にいるとそうも冷静になれません。
「どうしたら有利になるか?」
エゴも出まくります。(昨日もそうでした。。)
エゴとの格闘
そんな時、1つ指針にする、ある言葉があります。
お仕事でご縁をいただく企業の社長さんが決断に悩まれた際、ある住職さんに頂いた言葉だそうです。
その事業が衆のためなら、大いにやりなさい。
自分のためにやるのなら、すぐ止めなさい。
「この選択が人生を決める」
人間なんで(特に自分はまだまだ…なんで)悩みます。行動だって、ブレまくります。そんなとき、その決断は…
『関わる方』のためなのか?
『自分』のためなのか?
エゴが出まくる自分への1つの指針として、思い出させてもらっています。
まぁ、口ではカッコつけていえますが、実際はまだまだですけどね。